X JAPANのHIDEは自殺!?事故死!?死因と衝撃の真相を調査しまとめました!

HIDEとは、1989年のデビューから今も活躍する日本を代表するロックバンド、X JAPANのギタリストです。
HIDEさんは斬新で魅力的なファッションや過激なパフォーマンス、ソロ活動では過激な曲からポップな曲まで披露し、精力的な活動をしている真っただ中の1998年に突然謎の死を遂げてしまいます。
衝撃の死から20年たった今でも人気は衰えず、当時を知らない若いファンも増え続けていて、ロック界ではカリスマ的な存在となっています。
今回は謎のまま天国へと旅立ってしまったHIDEさんの死因、事故なのか自ら命を絶ったのか諸説ありますが、実際はどうだったのか、真相に迫ってみたいと思います。
HIDEさんのプロフィール、経歴、生い立ちなどについては別の記事で調査しているので、一度ご覧ください。
X JAPAN-HIDEの経歴や幼少期の生い立ちプロフィールなどを調査しまとめました!
X JAPAN-hideの死に至るまで

1997年、ボーカルTOSHIさんの脱退によりX JAPANは解散します。
TOSHIさん脱退した理由、洗脳事件についてはこちらでまとめてます。
X JAPANのTOSHI・洗脳事件の全容!真実をまとめました!
その後、それぞれソロ活動に入りますが、その中でも一番精力的に活動していたのがhideさんです。※hideさんはXの活動時はHIDE、ソロ活動時はhideと区別しています。
1997年12月31日の解散の翌日、1998年1月1日の元旦にはhide with Spread Beaverとして朝日新聞に全面広告を掲載します。
1月28日にシングル「ROCKET DIVE」を発売し、同年の5月13日にシングル「ピンクスパイダー」5月27日にシングル「ever free」が発売されました。X JAPANの解散直後から精力的に活動を始めたhideさんですが、この1月28日の「ROCKET DIVE」と5月13日の「ピンクスパイダー」が発売される間の5月2日にhideさんは命を失ってしまいます。
ではその当日はどんな状況だったのでしょうか。
X JAPAN-hide死の当日
死の前日1998年5月1日、hideさんはhide with Spread Beaverのメンバーとフジテレビの音楽番組「ロケットパンチ!」の収録をしていました。
ちなみにMCのの恵俊彰さんとはhideさんが小学生の頃、集団でアメリカへホームステイした時に一緒だったそうです。
そのあと打ち上げに行き、泥酔したhideさんは日付をまたいだ5月2日の未明、実弟でマネージャーの松本裕士さんに車で自宅まで送られました。
5月2日の朝7時30分頃、自宅マンション寝室でタンクトップにトランクス姿で、ドアノブにタオルを掛けて座った状態で首を吊り呼吸停止した状態のhideさんを 同居していた彼の婚約者によって発見され、搬送された病院で午前8時52分に死亡が確認されました。
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hideさんの死はその状況から警察は自殺と断定したが、自殺と決めつけるには不自然な部分もあり、事故ではないかという説もあって真相は今でも謎のままです。
まずはどんな説があるのか、順番に見ていきましょう。
X JAPAN-hideの死因 自殺説

警察は
警察は雑誌の取材で「牽引(けんいん)にしては首の輪が小さく死を意図するものだった。また、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われる」と答えています。
X JAPANの解散から
X JAPAN解散のすぐ後だったことから、解散に一番反対していたhideさんは、「TOSHIの歌声がなくなったらXではない」と解散を決断したYOSHIKIさんに「新しいボーカルを入れてXを続けよう」と説得していました。
それだけ愛していたXが無くなって、表面上は精力的にソロ活動をしていたが常に失望感を感じていて、お酒の勢いで命を絶ってしまったのではないか。
メンバーとの喧嘩から
事件前日に収録された番組「ロケットパンチ!」の打ち上げで、hideさんは時差ボケや連日の疲れの中、久しぶりに皆での打ち上げにはじけて泥酔状態となり、Spread Beaverのメンバーと意見の違いで喧嘩をしてしまいます。
hideさんと同じギタリストのkiyoshiさんとギタリストとして売れる売れないの話をしていた時に、kiyoshiさんに「お前はいいよな、YOSHIKIと一緒にいるだけで売れるもんな」「お前が売れてなければ今頃俺が売れてた」と言われ喧嘩になったそうです。
その打ち上げの帰り、実の弟でマネージャーの松本裕士さんに車で送ってもらい、喧嘩の内容を話して意見を求めるが、裕士さんが「わからない」と答えるとhideさんは「お前もか!」といって怒って降りてしまいます。
いつもならどんなに喧嘩しても疲れていても、「お疲れ、気を付けて帰れよ」と声を掛けるhideさんですが、この日はその言葉を掛けずキレて車から降りてしまったそうです。
荷物があれば松本裕士さんが荷物を持ってhideさんの部屋まで送っていますが、この日は荷物がなかったので、松本裕士さんはhideさんを部屋まで送らずそのまま帰ったそうです。
のちに松本裕士さんは「あの日、僕が部屋まで送っていれば・・・」と悔やんでいます。
その数時間後に事件が起きたことから、泥酔状態だったhideさんはその喧嘩がきっかけで突発的に自殺してしまったのではないかという説。
確かにいつも以上にhideさんは怒っていた感じがするエピソードですが、はたして喧嘩が原因で突発的に命を絶ってしまうのでしょうか?それだと命がいくつあっても足りないような気もしますよね。
「HURRY GO ROUND」の歌詞

最後に発表された曲「HURRY GO ROUND」の歌詞が遺書だったのではないか。
という説もあります。
「実は朽ち果てて思い出のかけら土に帰り」という歌詞が死や、輪廻転生を連想させたり、「また春に会いましょう」という歌詞の春というのは亡くなった5月2日を連想させるという説です。
歌詞がhideさんの死に妙に重なっていて、最後の曲だったこともあり遺書と言われるようになったんでしょうね。
実際に遺書のつもりで作詩したのかと言われるとどうなのかなと思いますが、確かに内容もタイミングも意味深な漢字はしてしまいますね。
この 「HURRY GO ROUND」 の歌詞はHIDEさんの墓石にも刻まれています。
X JAPAN-hideの命日やお墓はどこ?行き方やマナーも調査!
X JAPAN-hideの死因 事故説
遺書がないことや、「死にたい」と自殺をほのめかす言葉がなかったことや、亡くなる数日前にスタジオを立てる土地を仮契約していたこと。
首を吊る紐に柔らかいタオルを選んだり、ドアノブで座って首を吊るというのが珍しいことから不慮の事故だという見方もあります。
肩こりのストレッチ
1998年10月24日 hideさんの死後行われた「 hide with Spread Beaver TOUR appear!! “1998 TRIBAL Ja,Zoo2”」の記者会見で、実の弟でありマネージャーの裕士さんが「hideは生前、ひどい肩こりと偏頭痛に悩まされており、整骨医が行う首の牽引によるストレッチをしていました。いつものように牽引していたが、帰国直後の時差ボケと泥酔状態であったためにふとしたはずみで首が締まってしまった事故だと思っています」と発表しています。
パフォーマンスの練習
コンサートの演出で、首を吊って自殺するパフォーマンスを計画していたためその練習をしていたが、泥酔状態だったので失敗して起きた事故という説もあります。
自慰行為による事故
窒息プレイというものがありますが、hideさんはこれをしていたのではないかという説。これは性的興奮を得るために自ら脳への酸素供給を止め、意図的に仮死状態になる行為。二酸化炭素が蓄積することで意識朦朧(いしきもうろう)状態となり、自慰の興奮を高めるというもの。
実際にこの窒息プレイをしていて死んでしまったのが有名な阿部定事件です。
YOSIHKIは
「中居正広のキンスマスペシャル」でYOSHIKIさんはHIDEさんの死について
「自殺じゃないと今でも思っている。そういうタイプの人ではない」と語っています。
YOSHIKIさんにしてみれば、いつも問題を起こすのはYOSHIKIさんの方で、それを冷静に諭してくれていつも前向きな言葉を掛けてくれたhideさんがそんなことをするはずがないという思いや、そうあってほしいという思いがあったんでしょうね。
X JAPAN-HIDEの死の真相
個人的には事故死だと思いました。
もちろんX解散による失望感や色んな悩みはあったでしょうが、YOSHIKIさんとボーカルを新しく入れて2000年にXを復活しようと約束していたことや、コンサートの予定やスタジオ建設の予定をしていたことから考えても、以前から自殺を計画していたことはまずないと考えていいと思います。
あとは泥酔していて突発的に自殺をしたという可能性はありますが、YOSHIKIさんをはじめ関係者が自殺をするような人じゃないと語っていることからおそらくないんじゃないかなと思いました。
あくまで個人的にですが、肩こりのストレッチの末の事故なんじゃないかと感じました。
それならタオルでドアノブっていうのもうなずけますし。
私の勝手な想像では、一度寝ようとしたが肩がこってなかなか寝れないのでストレッチを始めた。しかしその途中寝てしまって本人も気が付かない間に首が締まって窒息してしまったのではないか。
本人がいなくなってしまった以上、今となっては真相はわかりません。
まとめ
死の真相については謎のままですが、それでもhideさんがこの世界に残してくれたものはかけがえのないも物であり、貴重な財産だと思います。
できればもう少し長生きしてもっとたくさんの作品を残して、さらに進化したhideさんを見たかったのですが、残念で仕方ないです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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