尾崎豊の死因・理由は?自殺?事故?他殺?死の真相を調査!

尾崎豊とは1980年代から1990年代初頭にかけて、社会への反抗、疑問、自由をテーマに歌い、「若者のカリスマ」「10代の代弁者」などと言われ、高校在学中にデビューし26歳という若さで突然亡くなった伝説的なシンガーソングライターです。
尾崎豊の生い立ち・幼少期や学生時代・経歴やプロフィールなど調査!
尾崎豊さんは突然謎の死を遂げます。その不自然な状況から、事故、自殺、他殺と色々な説がうわさされてますが、今回は尾崎豊さんの亡くなった日の状況、死因、様々な説、現在分かっていることをまとめていきたいと思います。
死亡時の状況
1992年4月25日早朝、尾崎さんの自宅マンションから約500m離れた東京足立区千住河原町の民家の庭で全裸で体中傷だらけで倒れている尾崎豊さんを住民が発見。
5時45分頃、墨田区内の白鬚橋病院に搬送され、尾崎さんの妻、繁美さんが駆け付けました。
医師から「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方が良い」と診断されるも、繁美さんの判断で自宅に戻ります。
妻と兄とマネージャーが見守る中、10時頃になって容体が急変し呼吸停止状態に。
11時9分に119番通報、再び病院に運ばれます。
日本医科大学付属病院で蘇生措置を施すも、0時6分に死亡が確認されました。
死因は覚醒剤中毒(メタンフェタミン中毒)による肺水腫と診断。
様々な説
尾崎さんの突然の死は謎に包まれている部分も多く、様々な議論がなされ、様々な説が出てきました。
死因
当初は行政解剖が行われる予定だったが、全身に擦り傷があり、右目の上に大きなコブがあることから司法解剖に切り替えられ、検視、解剖の結果、死因は「肺水腫」と発表されます。
肺水腫とは肺に水がたまる病気で、健康時には肺に水がたまっても吸収して排出されるので問題はないが、身体が衰弱している時にはそれが機能せず、水がたまってしまうこともあるそうです。
このことから
身体衰弱→肺水腫
ということになりますが、亡くなる直前の尾崎さんはどのような状態だったのでしょうか。
忙しさから身体衰弱
当時の尾崎さんはレコーディングの真っ最中で、自身で個人事務所を立ち上げていたこともあり、すべて自分自身でこなさなくてはいけないため、日々多忙を極めていました。
そのため満足な睡眠がとれず、食事もあまりとらなかったそうです。
それに加えて酒浸りの毎日で、アルコールの量はウイスキーのボトルを2~3時間で空けてしまうという尋常じゃない量でした。
- 毎日深夜までレコ-ディング
- 睡眠、食事をあまりとらず
- 日々大量のアルコールを摂取
これで身体衰弱して肺水腫を起こしたというのも考えられます。
しかしその2年後に「死体検視書」のコピーがマスコミに流出します。
覚醒剤による身体衰弱

検死を担当した司法解剖医の支倉逸人さんによれば、内臓も覚醒剤を経口摂取(口から飲んで摂取する)した形跡があり、肺にも覚醒剤中毒の症状が見られたといいます。
死因の肺水腫の原因が覚醒剤中毒である事実は伏せられていました。
発見されたとき体中傷だらけで全裸で倒れていたそうですが、その時の目撃者の証言によれば、持っていたセカンドバックをぶちまけ、暴れまわり、ブロック塀に何度も頭を叩きつけていたと言います。
この行動は完全に普通じゃない状態で、覚醒剤による精神錯乱状態と推測されます。
体中の傷や右目上のコブもこの行動によってできたのではないかと思います。
このことから覚醒剤多量接種による肺水腫と考えられます。
他殺説
- 体中の傷は誰かに暴行を受けたのではないか
- 毎日大量のアルコールを飲みながら覚醒剤をするのか
- 誰かから覚醒剤を投与されたのではないか
などといった疑惑から他殺説が生まれています。
遺体には全身に傷やアザがあり、暴行された挙句に死亡したのではないかという説がありますが、検死をした支倉逸人さんの著書によれば、「擦過傷と打撲傷をじっくり調べた結果、他者からの暴行によって生じるものとは異なる状態であった」と証言しています。
また尾崎さんが転倒したり暴れて転げ回っていた、壁に頭を打ち付けていたという証言を警察が確認しており、この異常な行動は覚醒剤中毒者によく見られるものだと結論付けられています。
支倉逸人さんによれば「頭部に小さな外傷性くも膜下出血も確認されているが、極めて微量の出血であり、死に至るほどの重症ではなかった」と言います。
尾崎豊は妻が殺したのか?

1994年にテレビ朝日により妻と知人が覚醒剤を飲ませて殺害したと主張、検証する番組が製作されたが、妻がテレビ朝日とジャーナリスト永島雪夫さんを相手に訴訟を起こしたため番組放送は中止となりました。
それから8年間にも及ぶ裁判で結果は原告である尾崎さんの妻が一審・二審・最高裁全てで勝訴しました。
尾崎繁美(尾崎豊の妻)の現在や再婚は?改名した?wiki風プロフィール!
尾崎繁美さんが書いた本があります。
そこにはアーティストとしての尾崎豊ではなく、一人の男としての尾崎豊さんの日常が綴られています。
なんだかんだいっても一番近くにいたのは妻である尾崎繁美さんだと思うので、本当の尾崎豊さんを知るためにはこの本を一度読んでみた方がいいと思います。
『親愛なる遙いあなたへ 尾崎豊と分けあった日々』尾崎繁美俺が尾崎を殺した
また2007年には「俺が尾崎を殺した」と語る男が現れました。
その男はその日、一緒にお酒を飲もうと言って尾崎さんを呼び出し、お酒に覚せい剤を混ぜて飲ませた。その後その男たちはふらふらになった尾崎さんを集団でリンチした。
「帰りたい」と何度もつぶやいていた尾崎さんは自力で自宅の近くの民家にたどり着いたと言う訳です。
詳しくはこちら
http://www.geocities.jp/ozakifan2/death.html
この話には何の確証もなく、その男の言うこと、さらにはこのジャーナリストの言うことを全面的に信用しなくてはいけない訳で、個人的には信ぴょう性が薄いと思います。
遺書の公開

2011年、尾崎さんが残した遺書と言われるものがジャーナリストの加賀孝英さんによって公開されました。
加賀さんは1994年にこの遺書を入手したようですが、妻の繁美さんが「長男の尾崎裕哉が物心つくまで公開しないでほしい」と言われ控えていたそうです。
一般的に遺書というと、死ぬ理由や残されたものはどうすればいいのか、遺産はどうなるのかについて書かれているイメージですが、この遺書にはそういった内容は書かれておらず、これを読んでも死の真相にはたどり着けませんでした。

父、尾崎健一さんはこの遺書に疑問を持ち「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺で
はない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」と自殺である事を否定しています。その尾崎健一さんも2018年11月28日に92歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
この遺書を書いた時期は分かっておらず、尾崎さんは何度か自殺未遂を起こしているので、以前の自殺未遂の時に書いたものではないかとも推測できます。
なのでこの遺書をもって自殺と断定するのもどうかと思います。
現在分かっていること
色んな疑惑がありますが、先ほど述べた8年間にも及ぶジャーナリスト永島雪夫氏と妻・繁美さんとの裁判によりある程度明らかにされています。
- 民家で発見されてから病院に搬送されたが、命の危険があるのになぜ自宅に戻ったのか?繁美さんが自宅に連れ戻したと思われていたが「家に帰りたい」と言い張ったのは尾崎さん本人だった。というのも病院の証言で明らかになっています。
- 発見されてから自宅に帰るまでずっと尾崎さんの意識ははっきりしていたが、「誰かに暴行された」とは一言も言っていなかった。
- 司法解剖により、致死量の2.64倍の覚醒剤を口から飲んだ事がわかっているが、覚醒剤は口から飲むとかなり苦いもので、こっそり酒にまぜて飲ませたらたらすぐにわかるはず、しかももし確実に殺そうとするなら、致死量の2.64倍はあまりに少なすぎる。
このことから他殺説はないのではないかと思われます。
まとめ
他殺ではない、自殺でもないとすると事故死なのでしょうか。
完全に個人的な見解で、もちろんそうではないという方もいるとは思いますが、私が調べた結果たどり着いたのは
限りなく自殺に近い事故死
ではないかと思いました。
尾崎さんは自殺未遂をしていることから、自殺願望があったはずです。
しかし実際に亡くなった時は今から死のうと思った訳ではなく、勢いで多量の覚醒剤を飲んでしまった、もしくは分量を間違えたのではないかと思います。
その時にもしかしたらもう死んでもいいやと思ったのかも知れませんが。。それは本人にしかわかりません。
とにかく私は長年なんで尾崎豊は死んだんだろうとモヤモヤしてましたが、今回調べたことでなんとなくこんな感じかなと思うことができました。
しかし尾崎さんの死は1ファンとして本当に残念でなりません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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