X JAPAN-HIDEの経歴や幼少期の生い立ちプロフィールなどを調査しまとめました!
X JAPAN-HIDEとは
日本を代表するモンスターバンド、ビジュアル系バンドの元祖ともいわれるX JAPANのギタリスト。
過激なファッション、パフォーマンスでファンを魅了し、死後20年たった今でも色あせず、今でもファンは増え続けています。
そんなHIDEさんの経歴や幼少期の生い立ち、プロフィールなどを調査してみました。
X JAPAN-HIDEのプロフィール
HIDE、hide(ヒデ)※X JAPAN活動時は大文字、ソロ活動時は小文字と分けていたそうです
本名:松本秀人(マツモトヒデト)
生年月日:1964年12月13日~1998年5月2日(33歳没)
出身地:日本・神奈川県横須賀市
学歴:逗子開成高等学校卒(ずしかいせいこうとうがっこう)、ハリウッドビューティー専門学校卒
職業:ミュージシャン
グループ:X JAPAN(ギター)、zilch(ボーカル)
ソロ活動:ボーカル、ギター
レーベル :MCAビクター(1993 – 1997)ユニバーサルビクター(1997 – 2000)ユニバーサルJ(2000 – )
事務所: Excess 24(1993 – 1997)
ヘッドワックスオーガナイゼーション(1997 – )
公式サイト www.hide-city.com
X JAPAN-HIDEの生い立ち
HIDEの幼少期
1964年12月13日神奈川県横須賀市、飲食店を経営する両親の元に長男として生まれます。
小学校の頃のHIDEさんは肥満体系でした。そのコンプレックスから内気で大人しい少年だったそうです。
たくさんの習い事をして忙しい毎日を送っていて、小学4年生の時にはアメリカへ1ヶ月間ホームステイもしています。この時、ホンジャマカの恵俊彰さんも一緒に参加していて、これがきっかけで恵さんと交流があったそうです。
HIDEさん生前最後に収録されたテレビ番組「ロケットパンチ!」は、恵さんがMCを務めていました。
その動画がこちら↓
小学校の卒業文集の将来の夢の欄には、医者になってほしいという祖父の願いもあって「医者になって見放された患者さんを助けてあげたい」と書いたそうです。
皆が知っているその後のHIDEさんからは想像もつかないですが、意外にも幼少期のころは内気で大人しい真面目な少年だったんですね。
幼少期の画像はこちら
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ロックとの出会い
中学生のころ、アメリカのロックバンド「キッス」のレコードを初めて聴いて衝撃を受けたHIDEさんは、それからロックにのめり込んでいきます。
おばあちゃん子だったHIDEさんは祖母に頼み込んでエレキギターを買ってもらいます。それは中学生にしては高級品のギブソンのレスポールでした。
念願のギターを手に入れたHIDEさんは中学時代ひたすらギターの練習をします。
その後高校へ進学したが、その学校が「エレキ禁止」だったためなかなかバンドが組めずにいました。
当時不良の溜まり場だった横須賀のどぶ坂通りに出入りするようになります。
そこで出会った仲間たちと念願のバンド「サーベルタイガー」を結成します。
徐々に人気を集めていき、横須賀だけに留まらず関東で精力的に活動し知名度を上げていきます。
音楽性の違いなどからメンバーチェンジを繰り返し、ドラムのTETSU脱退をきっかけに1987年サーベルタイガーは解散します。
解散を期にHIDEさんは音楽活動から足を洗い、美容師として生きていくことを決断します。
X JAPAN
Xに加入
一時は音楽をやめる決断をしたが、以前から親交があった当時千葉で活動していたXのリーダーのYOSHIKIさんから「Xに入らないか」と誘われ、HIDEさんはXに加入することになります。
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すでに人気のあったXですが、 「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演しどんどん知名度を上げていきます。
アルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。
このアルバムは当時の音楽業界で10万枚売れれば大ヒットだった中で、60万枚売り上げました。
音楽番組などにも積極的に出演し、初めて見る人たちに強烈なインパクトを与えます。
この年Xは日本有線大賞新人賞、日本ゴールドディスク大賞など数々の賞を受賞しました。
その後アルバム『Jealousy』をリリース、第42回NHK紅白歌合戦に出場、日本人アーティストとして初の東京ドーム3日間連続公演も成功させるなど、モンスターバンドへと成長していきます。
世界進出も視野に入れたXは、1992年アメリカに同名のバンドが存在したため、X JAPANに改名します。
ソロ活動
1993年X JAPANと並行してHIDEさんはソロ活動を開始します。
1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』を発売し、同年3月には初のソロツアーを開催します。
1996年自身のレーベル「LEMONed」(レモネード)を立ち上げ、同年9月に2ndアルバム『PSYENCE』を発売するなど精力的に活動する中、1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散してしまいます。
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X JAPANの解散
HIDEさんは最後までXの解散に反対したが、解散を決めたYOSHIKIさんの意思は変わりませんでした。
HIDEさんはファンに対するけじめとして「ラストライブをやろう」とYOSHIKIさんを説得し、1997年12月31日に東京ドームで『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行い、その後出演した『第48回NHK紅白歌合戦』をもって解散となりました。
その後各メンバーはソロ活動を開始します。
その中でもHIDEさんは「hide with Spread Beaver」を結成し精力的に活動します。
1998年1月「ROCKET DIVE」発売。
X JAPAN-HIDE、天国へ
しかしその矢先、信じられないニュースを耳にします。
1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているHIDEさんを同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に亡くなりました。
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事故なのか、それとも自ら命を絶ったのか今も謎に包まれたままです。
1998年5月13日にシングル「ピンクスパイダー」
5月27日にシングル「ever free」が生前に予定されていた通り発売されました。
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まとめ
以前私もバンドを組んでプロを目指していました。
正直ビジュアル系はあまり好きではなかったのですが、HIDEさんだけは例外的にかっこいいと思っていたので、彼がこの世にいなくなったことはとてもショックでした。
今でも色あせない独自のファッションセンス、音楽センスは抜群だったと思います。
激しさの中にもキャッチーで覚えやすいメロディーを多用するなど、コアなロックファンにも一般的な人にも受け入れやすい音楽を目指していたんじゃないかなと思います。
もっともっとたくさんの音楽をこの世に残してほしかったなと残念で仕方ありません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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