尾崎豊の生い立ち・幼少期や学生時代・経歴やプロフィールなど調査!

2019年7月20日




尾崎豊の生い立ち

今回は若者のカリスマ、10代の教祖とも言われ1980年代~90年代初頭に掛けて活躍し、26歳という若さで謎の死によって人生の幕を閉じた尾崎豊さんの人生を振り返り、まとめてみました。




尾崎豊のプロフィール

  • 本名:尾崎豊(おざき ゆたか)
  • 生年月日:1965年11月29日(26歳没)
  • 血液:B型
  • 身長:178㎝
  • 星座:いて座
  • 出身:日本 東京都練馬区
  • 学歴:青山学院高等部中退
  • 職業:シンガーソングライター、詩人
  • ジャンル:フォーク、ロック
  • 担当:ボーカル、ギター、ピアノ、ハーモニカ
  • レーベル:CBSソニー(1983~1986)、MOTHER&CHILDREN(1987~1988)、CBSソニー(1990年) 、ソニー・ミュージックレコーズ (1991年 – 1992年)
  • マザー・エンタープライズ (1983年 – 1989年)、ROAD AND SKY(1990年)、アイソトープ(1991年 – 1992年)

生い立ち

幼少期

1965年11月29日東京都世田谷区の自衛隊中央病院の二人兄弟の次男として生まれ、練馬区で育ちます。

小学5年生の時に転校しますが、新しい学校に馴染めず不登校になってしまいます。

ちょうどその頃、兄が持っていたクラシックギターを弾くようになり、フォークソング、特に井上陽水の詩の世界感に強く惹かれ、毎日ギターを弾きながらフォークソングを歌うようになります。

学生時代

小学校を卒業し練馬東中学へ入学します。生徒副会長や文化祭実行委員長を務めたが、喫煙で停学処分を受けます。

高校は青山学院工学部へ進学したが、喫煙やバイク事故などでまたも停学処分を受けます。

3年生の時には渋谷で同級生達とと飲酒し、女子生徒が一気飲みをして急性アルコール中毒で搬送され、さらに大学生グループと乱闘し、警察が出動する騒ぎを起こして無期限停学処分を受けてしまいます。

しかしこれがオーディションを受けるきっかけとなりました。

その頃のオーディションを受ける16歳の尾崎豊さんを記録した貴重な映像があります。

オーディションを受ける尾崎豊さん

この映像では、「ダンスホール」「もうお前しか見えない」が演奏され、当時の高校生活のエピソードも語られています。

もうこの頃には尾崎豊さんが出来上がっていますね。

これを見ればオーディションに合格するのも納得です。

CBSソニー主催の『CBS SONY Sound Development Audition 1982』とビクター主催のオーディションを受け、CBSソニーに見事合格!

デビュー

1983年12月『十七歳の地図』、シングル『十五の夜』でメジャーデビュー!

学校の方は停学処分が解けたが出席日数が足りず留年することになり、尾崎豊さんは学校をやめ、音楽の道に進むことを決断します。

デビューアルバムは積極的なプロモーションを行わなかったため、ヒットしませんでしたが、精力的にライブ活動をします。

日比谷野外音楽堂でのライブで高さ7メートルの照明台から飛び降りて左足を骨折し、その後のスケジュールがすべてキャンセルになりました。

その後口コミで徐々に人気が出て、3rdシングル『卒業』がヒット。

その後2ndアルバム『回帰線』が音楽チャート1位を記録し、尾崎豊さんは全国的に知名度を上げていきます。

社会への反抗や疑問などをテーマに歌い上げ、若者の間でカリスマ的な人気を得て、「10代の教祖」「若者のカリスマ」などと言われるようになり、コンサートツアーも満員になるなど、絶頂期を迎えます。

10代の最後の日に3rdアルバム『壊れた扉から』を発売し、これももちろんヒットします。

17歳でシンガーソングライターとしてデビューし、10代のうちに3枚もアルバムを出し、瞬く間に若者のカリスマになるって今考えると本当にすごいことだと思います。

私も当時中学生で、学校の男子の間では尾崎豊とBOOWYが人気を二分してましたね。女子は光GENJIでしたけど…

活動休止~復活

ニューヨークへ放浪

10代のうちに3枚ものアルバムを出し、一気に駆け抜け若者のカリスマとなった尾崎豊さんですが、20代になって少し方向性を見失い、突然無期限活動停止します。

1986年6月単身ニューヨークへ放浪。

当時尾崎さんは曲を生み出せなくなり苦しんでおり、その年の年末に帰国するが、しばらくたってもなかなか新曲は発売されませんでした。

1987年7月、その状態のままライブツアーをスタートさせますが、9月に肉体疲労のため倒れ、ツアーは中止となってしまいます。

覚せい剤取締法違反で逮捕

さらにこの年の年末に覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまいます。

尾崎豊の生い立ち
1988年2月22日釈放された時の尾崎豊さん

懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決が下されました。

その後1988年5月に一般女性の繁美さんと結婚します。

尾崎繁美(尾崎豊の妻)の現在や再婚は?改名した?wiki風プロフィール!

尾崎豊の生い立ち

新曲『太陽の破片』をリリースし、当時の音楽番組「夜のヒットスタジオ」に最初で最後のテレビ出演し、新曲を歌います。

私はこの放送をリアルで見ていましたが、覚醒剤事件の後だったので、どこか見守るような気持ちで見ていたのを覚えています。

これが尾崎豊さん「夜のヒットスタジオ」出演の貴重な映像です。

1988年6月22日夜のヒットスタジオ・尾崎豊「太陽の破片」

9月に待望の4枚目のアルバム『街路樹』が発売されます。

1989年7月長男、尾崎裕哉さんが誕生します。

尾崎豊の生い立ち

ちなみに尾崎裕哉さんは現在ミュージシャンとして活動しています。

現在の画像はこちらです。

尾崎豊の生い立ち
尾崎裕哉

尾崎裕哉さんについても記事を書いているので、気になる方は是非ご覧ください。

尾崎豊の息子・尾崎裕哉の彼女は?結婚は?経歴をまとめました!

復活

1990年11月5枚目の2枚組アルバム『誕生』を発売し、オリコン1位を獲得します。

子供が生まれ新しい価値観が生まれたのでしょう、この辺りから長い低迷期から抜け出し完全復活します。

一方プライベートでは女優の斉藤由貴さんとの不倫が発覚し、その後別居したことが報じられます。

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事務所との関係もうまくいかず、個人事務所を立ち上げますが、何から何まで自ら仕切らなくてはいけないため多忙を極め、精神的に追い詰められていったようです。

そんな中追い打ちをかけるように1991年末に母親が急死してしまいます。

突然の死

1992年4月25日の早朝、尾崎さんは自宅マンションから500m離れた足立区千住河原町の民家の庭で全裸で体中傷だらけの状態で住民に発見されます。

そのまま病院に運び込まれ、医師から「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方が良い」と診断されるが、妻の判断で自宅に戻ります。

その後自宅で暴れたり眠ったりを繰り返すが、10時頃になって容体が急変し、呼吸停止の状態で救急車で病院に搬送されます。

搬送先の日本医科大学で蘇生措置が施されるも午後0時6分、尾崎豊さんは静かに息を引き取りました。

若干26歳でした。

死因は覚醒剤中毒(メタンフェタミン中毒)による肺水腫と診断されました。

この謎の死についてはその後さまざまなうわさ、憶測、議論がなされ、今でもはっきりしたことがわかっていません。

これについては別の記事で調査しているので是非ご覧ください。

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4月30日に行われた東京都文京区の護国寺で葬儀、追悼式には37500人ものファンが詰め掛けました。

直前に完成した6枚目のアルバム『放熱への証』が遺作として発売されます。

作品

シングル

15の夜 – THE NIGHT (1983年)
十七歳の地図 – SEVENTEEN’S MAP (1984年)
はじまりさえ歌えない – CAN’T SING EVEN THE BEGINNING (1984年)
卒業 – GRADUATION (1985年)
DRIVING ALL NIGHT[注釈 37] (1985年)
核 (CORE) – CORE (1987年)
太陽の破片 (1988年6月21日)
LOVE WAY (1990年)
黄昏ゆく街で – 57TH STREET (1990年)
永遠の胸 – ETERNAL HEART (1991年)
I LOVE YOU (1991年)
汚れた絆 – BOND (1992年)
15の夜 (ライブ) – THE NIGHT (LIVE) (1993年)
OH MY LITTLE GIRL (1994年)
もうおまえしか見えない (1996年)
風にうたえば (1999年)
FORGET-ME-NOT/OH MY LITTLE GIRL (2001年)

オリジナルアルバム

十七歳の地図 – SEVENTEEN’S MAP (1983年)
回帰線 – TROPIC OF GRADUATION (1985年)
壊れた扉から – THROUGH THE BROKEN DOOR (1985年)
街路樹 (1988年)
誕生 – BIRTH (1990年)
放熱への証 – CONFESSION FOR EXIST (1992年)

まとめ

26年間を苦悩しながらも全力で駆け抜けた尾崎豊さん、おそらくとても感受性が豊かで繊細だったゆえに悩み続けていたのでしょう。その結果、薬に手を出し天国へと向かっていったんだと思います。

尾崎豊さんの最後については不慮の事故なのでは?自ら命を絶ったのでは?いや、誰かに仕組まれたわなだ!と色んな説、意見がありますが、どちらにしても薬が大きな要因になったことは間違いないと思います。

ちょうど10代の多感な時期にリアルタイムで知っている私にとってはまさしくカリスマ的な存在で、その上ルックスも抜群で、亡くなったことでさらに特別な存在になったのではないかと思います。

今もし尾崎さんが生きていたら50代ですね。それでもかっこよかったんだろうなと思うと残念で仕方ありません。

若い人はリアルタイムではないので尾崎豊さんを知らないかも知れませんが、曲は聴いたことがあるという方も多いんじゃないでしょうか。これを機に曲を聴いたことのない方はぜひ聴いてみてほしいです。きっとなにかを得られるのではないかと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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